ドーナツの穴

twnovelを元に書いた小文を折本にしたり、EPUBにしたりします。うろ覚えな話もします。

第14回短編小説の集い「のべらっくす」に参加しました

ひさしぶりの参加になります。よろしくお願いします。

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お題「食」で書きました。(1300字強)

美食家のテーブル

 店の扉を開く音が響いた。夕食時の混雑には、まだ早い。
「いらっしゃいませ!」
 店主は客に声をかけた。水色のポロシャツにベージュのズボン、薄手の上着を着込んだ中年の男である。
「休憩時間?」
 無人のテーブルの並ぶ店内に男は戸惑っていた。
「いえ。お客様は、ご予約でしょうか?」
「違うよ。一見じゃ駄目なの?」
 店主は慌てて手を振る。
「とんでもない。ただ本日は、ディナーの予約が立て込んでおりまして、ご用意できるお席がないのです」
「週末だものね。そうか。残念だな」
 自分の上着を客は眺めていた。安物のジャケットだが、新品と店主は見てとる。わざわざ選んできたのだろうか。
「……もしもですが。お客様がお気になさらなければ、お席をご用意できます」
「気にならなければって何だい? 気になるな」
「悪いお席ではないんです。立ち話もなんですから、どうぞおかけください」
 店主は、窓側の席の椅子を引いた。
「こちらは、あるお客様が好んでお使いだった席なんです。近頃、お顔を見せなくなりまして、亡くなったなんていう噂も」
「ええ! 死人の席なの?」
 腰を浮かせかける男を店主はなだめる。
「それは、あくまで噂でして。他のお客様がこのテーブルをお使いにならないわけは、他にあるのです」
 男は、恐る恐る席に腰を下ろしていた。
「お飲み物をお持ちしましょう。本日は当店のサービスとなりますので、ご遠慮なさらず」
「本当? じゃあ、コーヒーをもらおうかな」
 厨房へ店主が指示を出す。
「それで、わけって何なんだい?」
「はい。そのお客様は大変な食通だったんです」
「食通?」
 十五年前、開業したばかりの店に彼は、ふらりと現れた。床屋の整髪油の匂いをさせた白髪頭、散歩がてらといった軽装、食には疎く見える。格式張ったつもりではないが、繁華街でフランス料理の看板を掲げていた。相応の値段のついた料理を望んでいるだろうか。手始めに客の前へ食前酒のリストを広げた。
「若かったせいもありますが、本当に失礼な話です。お客様の注文をうかがって、心得違いに平手を食らった気分でした」
 彼の注文は適切、明快にして洒脱、非の打ちどころがない。時折、困惑させられる組み合わせもあったが、後から考えれば、それは店主の不勉強であった。
「他のお客様の間でも、たちまち有名になりました」
 後追いで同じ注文をする者、食前酒からの一連の流れをメモに取る者、いずれどこかの社長、名士ではないかと推測する者で店はあふれる。その間、店主は傲慢を恥じ、味、サービスの向上に努めた。
「不景気もありましたが、店を続けてこられたのは、あのお客様のお蔭でしょう」
「なるほど。それで、みんなこの席に座りたがらないのか。下手なものを頼んだら恥を掻くというわけだ」
 ウェイターがコーヒーを運んでくる。
「ぼくはかまわないよ。どうせ食通とは、ほど遠い。今日、この店に入ったのも亡くなった父が来たがっていたからなんだ」
 コーヒーを一口飲んで男は微笑んだ。
「おいしいね」
 予約の客が次々に訪れ、店主は対応に追われる。一息つき、厨房にある先刻の男の注文票を眺めて目を疑った。そこには、かつての常連客と遜色ないオーダーが並んでいる。
 店主は、男の去ったテーブルを拭いながら、何度も首を傾げていた。(了)

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