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ドーナツの穴

twnovelを元に書いた小文を折本にしたり、EPUBにしたりします。うろ覚えな話もします。

映画「黒い十人の女」感想

映画 邦画 感想

初の邦画です。

内容詳細

 現代の煩雑な社会の一分子テレビプロデューサー風松吉。メカニズムに押し流されている彼には近づく女も多い。彼と関係した女は十指に余る。妻の双葉はそん な夫をあきらめて淋しい毎日をレストラン経営にまぎらわしていた。責任のない関係のつもりだったが、女の方では奇妙に風を忘れられない。行きづまりを感じ ている女優石ノ下市子もそんな一人だった。女たちは風のことが気になるあまり二言目には「風がポックリ死ねばよい」「風を誰か殺してくれないかしら」と言 うのだった。(Movie Walkerより)

movie.walkerplus.com

前置き

今回は、1961年公開の映画を扱います。

市川崑監督独特の画面構成、情緒を抑えたドライな演出が印象的な作品です。日本のマストロヤンニ、船越英二ファムファタールっぷり、岸恵子をはじめとする絢爛豪華の女優陣の顔ぶれだけでも一見の価値があると思います。

一人の男と複数の女の愛人関係が描かれるため、最初は『危険な情事』や『ゴーン・ガール』のような女性嫌悪の内容かと考えました。しかし、進むにつれ、女性の社会参加などが言及され、多層的なテーマが浮かび上がってきます。

世評にもある通り和製ヌーベルバーグと呼ぶにふさわしい映画と言えるのではないでしょうか。

ネタバレ

この映画は、日本版『レボリューショナリー・ロード』とでもいうべき作品だと思います。

映画はラスト近くのシーンから、過去にさかのぼる形で はじまります。

緊迫した十人の女のやりとりののち、彼女たちの議論の的となっていた風松吉という人物を描きだす数カットが見事です。まず、彼の端正な容姿と内実の徹底した空虚さに圧倒されます。周囲の女性たちの生々しく個性的な様相と比べ、あまりにもつかみどころがありません。

風松吉という男は、女の側から見た他者として描かれているのではないかと考えます。他者である女は、よく見かける人物像ですが、男はめずらしいと思いました。彼の人物造形の秀逸さは、脚本の和田夏十の功績ではないでしょうか。

 風松吉は『とても優しい男』ですが、誰も愛しておらず、責任を担う覚悟もありません。しかし、魅力があり、女たちが引き寄せられる。彼はドンファンではなく、ファムファタールとして、この映画の中心に存在するブラックホールと言えるでしょう。

劇中、風のふるまいを愛人の一人が上司に相談する場面があります。上司は働く、すなわち、社会参加を権利と考えるのは幻想であり、くだらないとうそぶくのです。そのうえで会社を辞め、『女は家庭を守れ』と促し、それこそが人間的な行為だと説きます。

このエピソードは、現代的な男たちが暴力や威圧的な態度で女に接しないものの、その本質はまったく変わってはいないという告発でしょう。上品な物腰、洗練された言葉であったとしても抑圧は抑圧でしかありません。

後段、クレイジーキャッツの寸劇を通じて同じメッセージが再度、流れます。

さて、風は、女たちから何度か選択を迫られていました。

中村玉緒の演じるコマーシャルガール、塩からの『滅私して尽くす』、印刷所の経営者、三輪子からの『前時代的な妻』、山本富士子の演じる妻の二葉からは、すべてを捨てる『献身的な愛』などです。選択には責任がともなうと知っている風は、どの申し出にも応じません。

風の殺害を装った狂言ののち、二葉は夫の内面が体面だけだと思い知らされました。彼女は愛の『復活』の幻想を捨て、最古参の愛人であり、親友でもある市子に風の身柄を託します。

二人きりになった市子と風は、『主人』と養われる『奥さん』という関係になり、問答をはじめます。

最初、市子は子供をもうけようと提案しました。家庭を守り、子をなすことこそが人間的な生活だと女は社会から説かれるものだからです。しかし、風は、社会的な立場を失ってまで生きていてもしかたがないと嘆くばかりでした。次に市子は、人生をやり直したらどうかと話します。女同士で取り交わした約束により、もとの職場へ帰すことはできないが、どこか別の場所で心機一転すればいいではないか。

市子は風に対し、残酷にふるまおうとしているわけではありません。しかし、この申し出も風は選択しません。この期に及んでも責任を避け、他人を糾弾するだけでした。

ラスト、両親からの押しつけであった俳優を廃業した市子は車に乗りこみます。本当の人生を求めるための選択でしょう。彼女は決断し、責任を担う覚悟をしました。

市子の運転する車の反対車線で事故が遭ったらしく、火災の処理が行われています。これは、未来が一方通行であり、後戻りはできないという市子を含む女たちから男への宣言ではないでしょうか。

余談

映画『レボリューショナリー・ロード』は、1950年代のアメリカを舞台に書かれた小説を映像化したものです。郊外に住む一見、幸せそうな夫婦の内実を描いています。

 映画が公開された2008年においても夫婦、ひいては男女の関係は、あまり変わっていないのかもしれません。

黒い十人の女』は2002年、同監督によるセルフリメイクのテレビドラマが制作されています。ほぼ同内容ですが、細かな変更があり、比較してみるのも面白いと思います。

送別会の規模が縮小している点、風と比較され、差別的に扱われる男の存在など各所でハッとさせられました。

最も大きな違いは、ラストの変更です。俳優を辞めた市子は車に乗り込みますが、どうしてもエンジンがかかりません。市子は降車、徒歩で駅へと向かいます。

このラストをどう見るかは各人の自由ですが、半世紀以上前に提示されたテーマ、人間関係がいまだ現代的であるという事実は考えさせられるものがあります。

otn.fujitv.co.jp

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