第28回短編小説の集い「のべらっくす」に参加しました
なかなか寒さが抜けません。桜の満開はいつになるのでしょうか。
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novelcluster.hatenablog.jpはてなブログでの募集は今回で終了になりますが、新たに「note」で企画を開催されるようです。ますますのご活躍を!
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乾いた空気の中、活字を追うのが楽しい季節になりました。
続きを読む映画「ソング・オブ・ザ・シー」感想
そろそろ夏休みの終わりが見えてきました。
内容詳細
アカデミー賞長編アニメ候補作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』予告編
アイルランドの神話をベースに、妖精の母と人間の父の間に誕生した兄妹が繰り広げる冒険を描 くアニメーション。主人公の少年と妹が、失われつつあるマジカルワールドへと足を踏み入れる姿を映し出す。監督を務めるのは、北アイルランド出身で、本作 が2作目のアカデミー賞長編アニメ賞ノミネート作となったトム・ムーア監督。彼らの冒険の行方と、映像美に引き寄せられる。(シネマトゥディより)
前置き
今回はアニメーション作品を扱います。
アイルランドの海と空を表す色彩の豊かさ、円を基調にした秀逸で愛らしいキャラクターデザイン、そしてなによりBGMの美しさが魅力的な作品です。また、特筆すべきは、この映画が純然たるジュブナイルとして成立している点でしょう。
家族愛、自然の尊とさ、土地に根づく神話の不思議など、さまざまな読み解きが可能ですが、主人公の視点を借りて所感を述べたいと思います。
ネタバレ
まず、印象として『クリスマス・キャロル』と類似する構造を持った物語ではないかと感じました。
主人公であるベンは、妹とともに灯台守の父親と暮らしている少年です。六年前、母親は生まれたばかりの妹を残し、亡くなっています。
母親は息子であるベンに土地の神話を語り、歌を教えていました。しかし、彼は、この神話を作り話だと信じていません。ベンは非常に現実的です。そのため母親の死の原因を妹に求め、責めています。
神話の匂いの濃い物語の中でベンは、もっとも現代人に近いキャラクターと言えるでしょう。
現実主義者のベンに倣うように僻地にある灯台の周囲の自然に神話時代の面影はわずかです。灯台が設置されていることから、かつては漁船で賑わっていたものと考えられますが、現在は船影ひとつ見えません。
監督の故郷、北アイルランドも同様に漁獲量が減り、漁師が害獣としてアザラシを屠殺している現状にあるようです。劇中、ひさしぶりにアザラシを目にした渡し船の船長の驚きは、自然の衰退と回復の兆しが描写されているのではないかと思いました。
魚がいなくなったのは、アザラシが食べるから。母親が亡くなったのは、妹のせい。本当の答えはどこにあるのでしょうか。
現実的な思考は大事です。しかし、それに拘泥するあまり短絡的、近視眼的になり過ぎてはいないか。問いかけはエピソードに覆われ、物語の底に沈んでいるような気がしました。
さて、ベンと妹のシアーシャは神話的な試練の末、魔女と対峙するのですが、上映中の作品ということもあり、詳細は控えたいと思います。(ネタバレになってない。すみません)
▼ぜひ劇場で!
余談
本作の監督トム・ムーアは『ブレンダンとケルズの秘密』の監督でもあります。
『ブレンダンとケルズの秘密』は、アイルランドの至宝「ケルズの書」が制作される経緯を幻想的なタッチで描いた映画です。叙事詩としての要素が色濃く、ストーリーは希薄ですが、絵本のような美しいデザインは一見の価値があると思います。
自分は、この作品を見た後、いつも悲しい気持ちになります。それは、何もかもが上手くいかず、ケルト文化の結晶である本だけが残るという物語のせいではありません。
アイルランドの人たちは、この結末をあらかじめ知りながら見ているのだと考えるからです。
映画「トゥモローランド」感想
今回は、新生活の始まる季節にピッタリの映画です。
内容詳細
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』などのブラッド・バード監督と、名優ジョージ・クルーニーのタッグで放つ話題作。ウォルト・ディズニーが想像した未来を軸に、“トゥモローランド”のことを知っている主人公と17歳の少女が未知の世界への扉を開く姿を描く。共演は『愛する人』などのブリット・ロバートソンやテレビドラマ「Dr.HOUSE」シリーズでおなじみのヒュー・ローリーら。ウォルト・ディズニー社の保管庫で発見された資料を基に創造された世界に息をのむ。(シネマトゥディより)
前置き
監督のブラッドバードは、アニメーション作家として有名です。監督はこの作品でアニメーションの演出を違和感なく実写に落としこむという偉業を成し遂げています。
トゥモローランドの光景、縦方向を駆使したお得意のアクション、SF的ガジェットの数々に幻惑されます。また、主人公ケイシーの行動優先のキャラクターは痛快、ストーリー全体を明るく楽しいテイストに導いていました。
目的の見えない前半部、その後の言葉による説明の説教臭さなど欠点もありますが、監督の過去作の謎が解けたり、自分なりの収穫がありました。
まず、この作品は公開当時、物議をかもした映画です。ブラッドバードという作家性の非常に強い監督の思想が如実に展開されているからでしょう。それはともすれば、選民思想の言い換え、懐古主義と受けとられ、不快感を持たれた方も少なくなかったかと思います。
不快感を自分は否定しません。ある種の登場人物たちへの無慈悲は、はっきりと映像に現れているからです。しかし、監督が作りだしたのは冷酷なだけの選別の物語だったのでしょうか。
この映画が子供に向けて作成されたものであることを念頭に置き、ストーリー展開に類似点の多い「ターミネーター2」を指標にストーリーを振りかえってみました。
ネタバレ
リクルーターからバッジをもらおう!
冒頭、ジョージ・クルーニー演じるフランク・ウォーカーは、これから『未来』の話をすると宣言します。そして、かつて誰もが夢見たであろう未来、トゥモローランドの光景が展開された後、主人公ケイシーが観客の前に登場します。
さて、高校に通う若い女性、ケイシーの課題、乗り越えるべき障害は何か。これが、なかなか示されないため、AAであるアテナを織り交ぜたスピーディな展開も色あせて見えるかもしれません。しかし、課題を提示しないまま進めるしかない理由があり、それが作品のテーマにも通じています。
主人公たちがトゥモローランドに到着してからの展開は正直、冗長です。タキオンを利用した巨大な未来予測装置の内部に舞台が限定されるためでしょう。それに伴い、アクションの少ない会話劇が長々と繰り広げられる点も失速に拍車をかけます。
ここで、ようやく人類滅亡の時が近づいていること、それを予測している装置がフランクの考案したアルゴリズムに基づいていることが明かされるのです。フランクはケイシーこそ人類を救う希望だと言います。しかし、この時点に至っても、いったいケイシーが何をすべきなのかが不明のままです。
その後、絶望的な未来のビジョンを地球へ送信していたニックス総督の陰謀が露見します。主人公たちは装置を破壊、ニックス提督の死をもって人類の滅亡が先延ばしになりました。しかし、次にすべき課題は何なのか。それが最終場面まで明かされなかったユートピア、トゥモローランドの実現です。
ユートピアを、明るい未来を築くには、どうしたらいいのか。具体的な答えを誰も知りません。人類の英知の結集と努力、協調という非常に曖昧な提示に堕するほかないのです。だからこそケイシーに、はっきりとした課題を与えることは不可能だったのでしょう。
ラスト、ケイシーはリクルーターに『夢のある人』を探してほしいと言います。トゥモローランドの再建にふさわしい人材を集めるための規定です。バッジを手にリクルーターが世界中へ派遣されます。
懐かしい未来
いくつかの疑問点を自分なりに考えてみました。
①なぜトゥモローランドは、すべての人々に公開されないのか?
『別次元にある』と劇中で説明されていますが、トゥモローランドはおそらく未来に存在しているのではないかと考えます。これから築いていかなければならないユートピアそのものなのでしょう。
②トゥモローランド(未来)を築くのは選ばれた人々なのか?
否定はできません。「Mr.インクレディブル」の悪役、シンドロームへの制裁がブラッドバードの回答だからです。
ピクサー、ディズニー作品の制作者たちが悪役の退場にどれほど気を配っているか。最近の作品をご覧になった方なら、よくご存じだと思います。しかし、ブラッドバードは悪役に容赦しません。きわめて無邪気に排除します。
ただこの冷酷さは監督自身にも向けられていると思います。劇中のフランク・ウォーカーは、ブラッドバードがダイレクトに表れた人物です。その人物を監督は、選ばれし者として描いていません。主人公のケイシーよりも、はるかに低い成績でトゥモローランドに迎えられ、のちに未来予測という禁忌を犯し放逐されます。
フランクの外見は、監督の初期作『アイアンジャイアント』に登場していたディーンとそっくりです。廃品回収業者であるディーンは、ガラクタを利用して細々とジャンクアートを作っていました。その姿は家に引きこもり、過去の発明品に埋もれて暮らしていたフランクと重なって見えないでしょうか。
ブラッドバードは、選ばれし者になる機会を与えられたが、才能に恵まれず、成果を出せなかった男として 自らを造形しました。なぜなら彼の前にトゥモローランドはないからです。天才と謳われる監督の結論に肝が冷えます。
では、選ばれし者とは誰なのか。それは、まだ何者でもない子供たちと、これから生まれてくる子供たちの中にいるのだと思います。
③子供に向けた映画のテーマとして適当だろうか?
大人のエンターテイメントだとすれば、どんな思想、メッセージが込められていてもかまわないと考えます。しかし、この映画は、子供の鑑賞を目して作られたものです。
政治や経済に左右されず、有志だけで理想を追求する。とても美しい夢だと思います。社会のシステムが確立している現在、少々の逸脱は許されてもいいのかもしれません。しかし、それは映画の制作のような小さなプロジェクトの場合ではないでしょうか。
国家や人類を左右する決断を少数の優れた人々に委ねるという思想の影に、どうしても独裁国家の足音を聞いてしまいます。
もうひとつの問題は、映画全体を彩っている懐古の空気です。レトロフューチャーを大人が楽しむ分には勝手だと思います。しかし、自分が叶えられなかった夢を背負わせたり、古い価値観を押しつけるという行為は、大人が子供へ絶対にやってはならない過ちでしょう。
おわりに
批判的な感想になってしまいましたが、提示している思想は危ういもののブラッドバードは、最高に面白い映画を撮る監督です。『MI/ゴースト・プロトコル』などの実写、アニメともに傑作を生みだしています。
あるインタビューで監督は、『アイアンジャイアント』の宣伝のために監督業を続けていると発言しています。傑作であるにもかかわらず、公開当時、評価されなかった作品だからです。
『なりたい自分になればいい』
兵器に生まれながら、それを良しとしなかったロボットのように愚直に生きたいものです。
【追記】2016/04/26
記事公開後、ブラッドバードの思想的な傾き具合は宮崎駿と似ているなと思いました。特殊なフェティシズム、女性キャラクターへの仮託という問題はありますが、宮崎駿は素晴らしいエンターテイメントを創出する作家です。もしジブリにブラッドバードのような人物がいれば、安泰だったのかもしれません。